NO.05
■阿仁街道、十二所街道の出発点 ■小繋から薬師山に向かう坂道は六文坂といわれた所。谷間の峠から鷹巣町(現北秋田市)に越えるあたりは鳥越 ![]() ■前山から坊沢にかけては度重なる洪水の常襲地帯であり、坊沢は村税の過徴をめぐって村人と肝煎の対立があり、命を賭けて村人が久保田藩に越訴するという事件があった。首謀者五人は坊沢で斬首され、尊い命を犠牲にした五人は義民とされ、その刑場跡に首切塚、五義民碑として残された。貧しく苦しく悲しい出来事を物語るものである。近くにある永安寺には五義民地蔵や天保の飢饉での餓死者慰霊塔もあり、探索のポイントとなっている。 ■坊沢から深堰(深関)を経て大太鼓の里、綴子に入る。旧街道は綴子本郷の田町(下町)で東進する県道と分かれ北に折れる。綴子の遺産である大太鼓出陣式が行われる綴子神社に立ち寄り、愛宕神社の裏手を通る旧道に入ると、古道の雰囲気がよく残されている道を歩くことができる。大堤の一里塚跡は深い杉木立の中にあり、檜山と矢立峠の中間に位置することから十里塚ともいわれたという。 ■やがて田代岳の南麓を流れる糠沢川に出合い、街道はその川を渡ることになるが、ここは俗に秋田渡りと呼ばれた所。国道七号の糠沢橋の上流部で川越した道は太平が祀られている小高い山の峠にさしかかる。 |
ホームページトップへ | 街道トップへ | 次のページへ | 前のページへ |