NO.04
![]() 小繋舟場跡 ■三つの川と街道が合流する舟運と陸路の要衝 ■米代川を望む鶴形で「タチコベ」という丘を越え、富根に向かう道は判然としない所が多い。明治天皇が御休息したという富根から駒形村の入口を過ぎて烏野(からすの)という台地を越える。ここは烏峠といわれた所である。 ■久保田城下と津軽境の間で野代川(米代川)の渡りは最大の難所とされたが、二ツ井は切石と荷上場の二大渡しをかかえていた。今から百年少し前、日本の北国旅行をしたイザベラ・バードという英国人女性が、この切石の渡しにかかった時は豪雨だった。ある人が渡河禁止を無視して舟渡りをしたところ、それが濁流に呑み込まれるのを彼女は目撃している。 ■米代川をはさんだ切石と薄井には平泉四代の藤原泰衡を祭神とする兜神社と鎧神社がある。現在は、二ツ井町の中心となっているあたりは、佐竹藩家老、梅津政景の新田開発によるところが多く、藤琴川から引水した岩堰の名残が今も残っている。ここは政景の功労を認め、岩関神社として祭られている。 ■二つ目の難所は一里の渡しと呼ばれた荷上場。小繋の米代川横断である。きみまち坂は明治天皇の行幸に際して開削されたもので、藤琴川を徒渡りしたときは、畜生坂という険しい山道を越えなければならなかった。二ツ井には高岩山、七座山などという古い信仰の霊場が残っている。 |
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