NO.03
![]() ■主要国道から遠く離れているせいなか、檜山の界隈にはなつかしい旧街道の面影が色濃く残っている。大森、赤坂と小さな集落を過ぎると、昔の街道跡は西側の森の中に消え、今はヤブに埋もれたままとなっている。 ■戦乱の頃、檜山を本拠地とした安東氏の軍団が往来した道を探すことはむずかしく、深い森やそよぐ風にその香りを求めるしかない。 ■檜山は由緒ある史跡の里である。中世、津軽から下ったという安東氏が築いた城館は霧山城、あるいは堀内城といわれ、その堅固さを誇っていた。その檜山城址に登って本丸跡や二の丸などを散策すると、その要害ぶりがよく分かる。 ■ゆったりとおだやかな坂道がつづく檜山の里は、安東氏のあと、秋田佐竹氏の領地となり、檜山城代の小場氏や多賀谷氏によって支配された。檜山の名物である納豆やお茶は当時からの名残である。 ■小さな谷間にひっそりと立つ多宝院は多賀谷氏の菩提寺であり、街道沿いには安東氏ゆかりの量言院や檜山神社などの訪ねたい所はたくさんある。歴史探訪などが好きな方にはうってつけの史跡が多く、檜山だけ一日かけても余りある。 ■檜山の町並みを外れると、能代道との追分付近に松並木がある。昔は殿様街道ともいわれた羽州街道は、追分から田床内へ山越えし、交通神社の所で国道七号線を横断し、鶴形へと下る。鴨巣の一里塚は往時の原形をとどめる貴重な遺跡である。 |
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