山本路−NO.02

山本路
NO.02

林崎一里塚■大間越街道との接点、重要な宿駅を勤めた森岡村。

■荒屋敷で鵜川(八竜町:現三種町)方面への能代道と分かれた羽州街道は、牡丹から森岳に向かって低い丘陵地帯に登っていく。
■森岳は昔の森岡村で、檜山や大館への往還における重要な中継地となり、南山本郡奉行御役屋や津軽藩主など参勤交代の折りの御本陣が置かれた所である。
■また、林崎集落の背後にある角助堤は周辺の新田開発のための灌漑用溜池として作られたもので、その後、ジュンサイの名所として知られるようになった。
■森岳の中心部に入るには歌橋で三種川を渡るが、三種川は「坊住山昔物語」の伝説によると、長寿の種、福禄の種、楽の種の南山本郡奉行御役屋跡三つの種が流れる川であるという。

■森岳から豊岡に向かう坂道は飛塚坂と呼ばれ、古い経塚と中世の板碑を見ることができる。昔の豊岡村は森岳村と並んで、交替で宿駅(本陣)を務めるほどの村であったが、藩主の鷹狩りや幕府巡見使などの宿所ともなって、村の財政や労働の負担は非常に大きなものとなっていたという。
■金光寺は、能代道から大間越街道へと分かれる追分で、三叉路に名残の松が立っている。羽州街道はこの追分から高原状の畑地や原野を貫き志渡橋への道となる。
■このあたりは周辺の村々の草刈場で入会紛争が絶えなかったようで、また中世、安東氏の戦さでも多くの蹄の音が鳴り響いた所でもある。


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