琴丘路
NO.01

三倉鼻からみた八郎湖■江戸日本橋より百五十二里、早旅でおよそ十五日。山本郡の玄関天瀬川へ

◎ニューヨークやマドリードと緯度をほぼ同じくする北緯40度ラインの秋田県北部は、温暖な気候と豊かな自然に恵まれた地域であり、日本海と奥羽山脈、出羽丘陵、白神山地に囲まれ、米代川やその支流域に早くから人々の暮らしが始まっていました。

■八郎潟よ琴丘町の境にある三倉鼻の小さな丘が秋田県北部羽州街道の始まりである。

■西に、かつての八郎潟の面影を残す残存湖や大潟村を望む三倉鼻は地域の憩いの場としても親しまれている。

■三倉鼻から旧国道を進んで天瀬川の集落に入る。戦国時代、織田信長の甥、信雄(のぶかつ)が悲運の果て、ここに移り住んだといわれる居住跡が街道の脇にある。

■天瀬川から浜鯉川への途中にある天瀬川一里塚跡にも見られるが、江戸日本橋から152里という遠隔の地である。

■左手に大きな潟の景色を眺めながら行き交ったであろう旧街道は、山谷地区を通って鹿渡の集落に入る。道々、路傍には古い庚申塔などが残されているが、琴丘天瀬川一里塚跡町中央公民館前の小さな石碑に注目したい。羽州街道を整備した初期の頃、道普請の丁場(担当区域)を示したもので、昔の鹿渡村の丁場が刻まれている。

■鹿渡の中心部にある鹿渡神社や松庵寺(しょうあんじ)は、今も昔も地域の人々の精神的な拠り所になっているという。

■東の丘陵から流れてくる糸流川は渡って新屋敷に至る。ここには、龍江寺(りゅうこうじ)という由緒ある寺があり、その境内にある「宝篋印塔」も見逃せない。死者をねんごろに弔い、塔の下頭髪や経文を納めたもので、文化10年(1813)に建てられたものという。


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