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■その日には、どんなことがあったでしょうか?クリックするとジャンプします。
■画像等は、google、Wikipedia、HP,ブログなどから借用させていただいています。
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(今日は何の日)│6月30日│佐藤栄作首相、韓国訪問
■1967年(昭和43)│非公式ながら大韓民国(韓国)を訪問。朴正熙(パク・ションヒ)の就任式に出席するのが目的で、日本の首相が訪韓は、戦後初めての画期的な出来事。今後の日韓関係の発展が期待される。
※ なお、佐藤首相の画像は6月6日に掲載している。ジャンプする。
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(今日は何の日)│6月29日│ザ・ビートルズ来日明日から武道館で
■1966年(昭和41)│今未明、「ザ・ビートルズ」を乗せた飛行機が羽田空港に到着した。
■メンバーは、ション・レノン(25)、ポール・マッカートニー(24)、ジョージ・ハリソン(23)、リンゴ・スター(25)の4人の若者で編成されるイギリスのロックグループ。
■全世界で空前の人気を誇る彼らが、ついに明日から来月5日まで公演する。
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(今日は何の日)│6月28日│アジア初の東京サミット、開催される
■1979年(昭和54)│港区の迎賓館で、第5回先進国首脳会議(東京サミット)が開催された。参加国は日本のほか・アメリカ・イギリス・フランス・西ドイツ・カナダの合計7か国。中東問題などで揺れるエネルギー問題が議論されるもよう。なお、閉会時には「東京宣言」を出す予定。
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(今日は何の日)│6月27日│元外相松岡洋右、病死
■1946年(昭和21)│A級戦犯で服役中の元外相松岡洋右が、結核で死亡した。67歳。山口県生まれ。苦学して米国オレゴン州立大学を卒業。外交官から代議士となる。国連脱退の際の日本代表をへて満鉄総裁、近衛内閣の外相。軍部と結んで侵略政策を推し進め、日独伊三国同盟を主導した。
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(今日は何の日)│6月26日│清涼殿に落雷、二人が即死、道真の祟りか?
■930年(延長8)│今日午後、愛宕山の方角から黒雲がわき起こり、やがて空を覆った。突然雷鳴が轟き、折しも公卿たちが集まって雨乞いの相談をしていた内裏清涼殿に落雷した。大納言藤原清貫と、右中弁平希世が即死。
■紫宸殿にも落雷し、被害が出たもようだ。醍醐天皇は強い衝撃を受けており、人々は、またしても菅原道真の祟りか、囁いている。
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(今日は何の日)│6月25日│朝鮮戦争勃発、韓国と北朝鮮
■1950年(昭和25)│朝鮮半島の北緯38度線で、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍事衝突が発生、戦争状態に突入した。
■ソ連の欠席した国連安全保障理事会は、北朝鮮の攻撃を侵略と断定した。アメリカが近日中に軍隊を派遣するのは確実である。
■あまりにも近い隣国に出来事に、日本も無関係でいることは難しいだろう。
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(今日は何の日)│6月24日│龍馬、西郷と京都で会う 薩長同盟への道
■1865年(慶応元)│土佐の坂本龍馬(31)が、薩摩の西郷隆盛(39)と極秘に京都で会談した。話題は、長州問題。昨年7月の「蛤御門の変」以来、薩摩と長州は互いに憎悪を剥き出しにしていた。龍馬と同じく土佐の中岡慎太郎も、両藩の諍いは日本の将来を危うくすると憂慮し、関係修復に奔走していた。
■二人は、粘り強く薩摩の西郷と長州の木戸孝允の間を往復しその突破口を探ってきたが、ようやく今日の会談で光明が見えてきた。
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(今日は何の日)│6月23日│大宮〜盛岡間を東北新幹線が開業
■1982年(昭和57)│1971年に着工された「東北新幹線」の大宮〜盛岡間が開業した。住民の反対運動などで工期は伸びに伸び、建設費も当初の8,800億円を大幅に上回っての完成だが、これで上野〜盛岡間はおよそ4時間と、今までより2時間半も短縮される。上野乗り入れは3年後。
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(今日は何の日)│6月22日│自由、進歩両党が合同「憲政党」誕生
■1898年(明治31)│ともに藩閥政治打倒をかかげながら、一方で藩閥との合従連合を繰り返していた自由党と進歩党が、ついに今日、合同した。来る総選挙では、衆議院の過半数を占めることはほぼ確実で、日本の政治史上の政党内閣誕生の可能性が出て来た。
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(今日は何の日)│6月21日│「参勤交代」が制度化される
1635年(寛永12)│三大将軍家光(32)によって6年ぶり大改定された武家諸法度が発布された。大きな改定点はいくつもあるが、重要なのが諸大名「参勤交代」の制度化である。
■1年おきの江戸在府は、諸大名に大きな負担を強いる。そのことが外様大名や親藩が強大になることを抑えて、幕府の強固な政権確立がねらいである。
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(今日は何の日)│6月20日│玉川上水が完成、町人兄弟二人が尽力
■1654年(承応3)│1年余りの歳月をかけて、ついに玉川上水が完成した。全長43km、標高差92m、世界に類を見ない大水道である。これまで、江戸の飲料水は、おもに神田上水だけでまかなっており、年々水不足が深刻化していたが、玉川上水の完成で江戸の水瓶もようやく充実しそうだ。
■尽力したのは、庄右衛門と清右衛門の町人兄弟。取水口の福生の熊川に築こうとしたが失敗、中流の羽村に決定。以降順調に推移した。二人の功績を讃え幕府は、200石を与え玉川姓を名乗ることを許可、上水の経営も任せる予定だ。
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(今日は何の日)│6月19日│松平定信、老中首座に大抜擢
■1787年(天明7)│昨年8月、汚職まみれ・賄賂まみれの前任者田沼意次らが追放されて、いよいよ幕府は政治刷新の準備に入った。その切り札が松平定信である。
■彼は30歳という若さで、いきなり老中首座に就任した。それもそのはずで、定信は「享保の改革」の立役者・8代将軍吉宗の孫(吉宗の二男田安宗武の子)。白河藩主に養子と入り、藩政改革を断行し、実務家としての手腕も証明済みだ。今後はさまざまな改革を推進していく予定である。
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(今日は何の日)│6月18日│ひめゆり部隊、集団自決、看護の少女犠牲に
■1945年(昭和20)│4月1日のアメリカ軍の上陸以来、沖縄本島では連日のように激しい戦いが続いている。すでに軍人・民間人の区別もなく絶望的な日々を送っているが、今日もまた前線で負傷兵の看護に当たっていた「ひめゆり部隊」の女生徒40数名が集団自決を遂げた。
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(今日は何の日)│6月17日│沖縄返還協定に日米調印
■1971年(昭和46)│沖縄返還協定が東京とワシントンで同時調印された。沖縄は1945年にアメリカに占領され、51年のサンフランシスコ講和条約でも日本本土から切り離されていた。
■以来、本土復帰運動が繰り広げられ、日米間でも激論が展開。2年前の佐藤・ニクソン会談でようやく返還が合意されていた。しかし、基地は残されたまま現在に至っている。
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(今日は何の日)│6月16日│承久の乱終結する、後鳥羽上皇は隠岐へ
■1221年(承久3)│5月以来続いていた「承久の乱」は幕府の勝利に終わった。入京を果たした幕府軍の北条泰時(39)は、かつて平家一門の根拠地・六波羅に駐留してここで戦後処理を行っている。これで朝廷に対する幕府の優位は決定的となり、今後は六波羅に常設機関「探題」を置き、朝廷の監視と京都の警護に当たることになりそうだ。
■承久の乱のお勃発は5月にまで遡る。3代将軍源実朝が暗殺されたのをきっかけに、後鳥羽上皇は討幕を決意。14日に寺の儀式を装って、近畿近隣諸国の兵を集め、翌日執権北条義時討伐の院宣を下した。
■木曽川の戦い、宇治川の戦いで敗れた後鳥羽上皇は院宣を取り消し、幕府に従うこと誓ったが、隠岐へ流されることは確実で、順徳・土御門の両上皇もそれぞれ佐渡などへ流される予定で、上皇側に加担した武士や公家は皆、流罪か死罪になる見込み。
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(今日は何の日)│6月15日│三陸沖で大津波発生、27,000人以上が死亡
■1896年(明治29)│午後8時頃、岩手県三陸沖を震源とする大規模な地震が発生した。マグにチュ−ド7.6。地震で発生した津波が青森・岩手・宮城三県の海岸に押し寄せ一瞬にして家屋と人々を飲み込んだ。死者は3万近くを数え、津波被害の恐ろしさを思い知らせる結果となった。
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(今日は何の日)│6月14日│毛利元就、死去
■1571年(元亀2)│中国地方の覇者・毛利元就が死去した。75歳。毛利家家督は嫡孫・輝元に継がれる。天下の動向は、昨年織田信長が近江姉川で浅井・朝倉連合軍を破るなど、ますます混乱を極めており、若い輝元では心もとないが、吉川・小早川の二人の叔父たちがこれを補佐していくことになるもよう。
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(今日は何の日)│6月13日│太宰治、入水心中
■1948年(昭和23)│作家の太宰治が、愛人の女性とともに玉川上水に身投げした。38歳。無頼派と呼ばれた作家の悲しい最期であった。太宰は過去にも幾度となく自殺を企てており、今回、彼の願望がようやく成就したことになる。
■太宰は本名を津島修治といい、青森県北津軽郡金木村に生まれた。若い頃から文学を志し同人雑誌を刊行していたが、やがて左翼文学に興味を持ち、非合法活動に身を投じるようになる。
■上京後、井伏鱒二や佐藤春夫に師事。兄の勧めで左翼との関係を絶ってからは。『魚服記』や『思ひ出』を立て続けに発表。旺盛な創作力を見せた。名を馳せた『斜陽』『人間失格』『津軽』などがある。
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(今日は何の日)│6月12日│原子力船「むつ」進水式
■1969年(昭和44)原子力船開発事業団は発注した日本初の原子力船「むつ」が完成し、今日進水式が行われた。全長130m、8350トン。加圧水型の原子炉の積み込みは来年予定されており、安全性と資源の有効利用の面から、今後の動向が注目される。
※ そのほかの経過は →
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(今日は何の日)│6月11日│田中通産相、『日本列島改造論』を発表
■1972年(昭和47)│田中角栄通産大臣(54)は、これまで温めていた「日本列島改造論」を発表した。この骨子は、高度経済成長により一段と格差が開いた「都市と農村」に着目し、これを是正しよういうもの。具体的には、工業地帯の配置を見直し新幹線や高速道路の普及を図るというものだった。
■これは近々出版予定で、田中首相実現も噂されているので大きなブームになりそうだが、逆に公害問題や土地の高騰を煽ることになりかねないと危険視する声もある。
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(今日は何の日)│6月10日│俳優のフランキー堺さん、死去
■1996年(平成8)│ジャズドラマー、俳優、大阪芸大教授と幅広い活躍で人々に親しまれたフランキー堺さん(本名・堺正俊)が肝不全で亡くなった。67歳。
■慶応大学在学中からドラマーとして活躍、その後俳優に転身。日活の専属となり、1957年の『幕末太陽伝』では、ブルーリボン賞主演男優賞に輝いた。
■その後も『駅前』シリーズなどで好演。また、58年に放映されたテレビドラマ『私は貝になりたい』では、市井の一庶民が、戦争に巻き込まれ、死刑囚となる悲劇を熱演、大きな共感を呼んだ。
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(今日は何の日)│6月09日│皇太子、雅子さま、結婚
■1993年(平成5)│皇太子徳仁殿下(30)と、雅子さま(30)が皇居宮殿で結婚の儀を済ませ、元赤坂東宮仮御所までの4.2kmをオープンカーでパレードした。
■雅子さまは、外交官小和田恒氏の令嬢。御自身も、アメリカのハーバード大学を卒業して外務省に入省した才媛。
■直前まで降っていた雨が止み、沿道につめかけた19万人の人祝福を受けながら、お二人はおよそ30分間でお披露目ロードを駆け抜けた。
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(今日は何の日)│6月08日│日本教職員組合が結成
■1947年(昭和22)│今日、戦災を免れた奈良県に、代議員900人、傍聴者数1000人が集まり、日本教職員組合(日教組)の結成大会が行われた。全日本教職員組合協議会(全教協)と教職員組合全国連盟(教全連)が母体となって合同したもので、教師の全国組織の統一が実現した。今後教育の民主化を求め幅広い運動を展開していく予定だ。
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(今日は何の日)│6月07日│光明皇后没
■60年(5)│聖武天皇の后であった光明皇后が亡くなった。父は藤原不比等。母は県犬三千代。臣下として初めて皇后になり天皇の事業を助け窮民救済に尽力。孝謙(称徳)天皇の母后。60歳であった。
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(今日は何の日)│6月06日│佐藤内閣、資本取引自由化の方針決定
■967年(昭和42)│戦後の復興とオリンピックの開催にともなう高度経済成長は、日本を否応なく国際社会の一員たらしめた。
■だが、国際社会には国際社会のルールがある。欧米の大企業は、日本に子会社の設立や株式取引などの資本取引自由化を迫ってきた。
■これに答える形で、佐藤栄作内閣は資本取引自由化の基本方針を今日、決めた。ラジオ、テレビなそ国際的に競争力のある33業種の完全自由化と、普通鋼など17業種は出資比率50%と定める内容である。
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(今日は何の日)│6月05日│新撰組、池田屋を襲撃
■1864年(元治元)│今日夜十時過ぎ三条河原町の宿池田屋へ、市中警備の新撰組およそ30名が襲撃を加え、集合していた尊皇派志士と斬り合いになった。
■祇園祭の宵宮で多くの群衆が取り巻くなか壮絶な戦いが続き、宮部鼎蔵(熊本)、吉田稔麿(長州)ら他藩にも知られた志士たちが非業の死を遂げた。なお桂小五郎は、一端引き上げていたため危うく難を逃れた。
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(今日は何の日)│6月04日│東京招魂社を靖国神社に改称
■1879年(明治12)│九段のの東京招魂社を今日、靖国神社とすることが決まった。東京招魂社は、戊辰戦争の犠牲者を祀るために1869年、明治天皇によって創建。
■今後は別格官弊社として、内務・陸軍・海軍の共同管理になる。
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(今日は何の日)│6月03日│ペリー艦隊、来航 米国、開国要求
■1853年(嘉永6)│今日朝、米国の軍艦4隻が伊豆半島沖に姿を現し、夕刻江戸湾入り口の浦賀沖に投錨した。慌てた浦賀奉行所では、長崎への回航を要求したが、拒否された。
■艦隊司令長官ペリー(59)は、米国大統領の親書を携えているらしく、これを江戸の将軍に手渡すことを強く求めている。鎖国を国是としてきた日本だが、大きな歴史的転換点を迎えたようだ。
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(今日は何の日)│6月02日│本能寺、戦火に燃ゆ 明智光秀、信長に謀叛
■1582年(天正10)│織田信長(49)が、武将の一人明智光秀(55?)に襲われた。信長は先月末に上洛、本能寺を宿舎としていたが、小姓衆などわずかな供回りしか連れていなかった。本能寺は瞬く間に業火に焼かれ、信長は自刃。光秀は、二条御所に籠もった信長の嫡男、信忠(26)も攻め、同じく自刃に追い込んだ。覇王・信長の死で、天下の形勢は一気に不安定になった。
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(今日は何の日)│6月01日│片山社会党首班内閣成立
■1947年(昭和22)│敗戦から2年がたち、様々な形で新しい体制が造り出されている中、ついに今日、わが国憲政史上初めての社会党内閣が成立した。
■社会主義者にしてクリスチャンの片山哲(60)首相の誕生である。もっとも、政権与党とはいっても社会党には単独政権を掌握する議席数はなく、民主党、国民協同党との連立内閣である。
■だが、「中道政権」成立としてマッカーサーは評価し、国民の期待感もかなり大きいようだ。
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