■石見街道は、浜田・今市・市木および大森・川本・出羽の二筋の中国山地を超えて、安芸の新庄に合し、中山・本地・可部を経て広島に達する。
■中山・広島間は12里(約47km)、1日半の行程であったという。
■この街道の主な利用は、鉄荷であった。宍道湖の広瀬・宍道・木次(きすき)などの集散地から山陰の海港である安来・江津・浜田へ送られるものと、山陽側の備後東城(とうじょう)・三次(みよし)・可部などを経て、尾道・広島へ送られる荷物があった。
■石見の国境に近い中山駅には、(1711〜36)年頃は本陣と伝馬15疋、問屋5軒、家数28軒で成り立っていたという。
■石見銀山遺跡とその文化的景観は、2007年に世界遺産に登録。
■石見の西の中心は浜田である。松平6万石の城下町で、石見国分寺の置かれた古い町である。
■浜田の西の益田は、鎌倉時代、七尾城の城下町としての歴史を持ち、亀井氏4,3千石の城下町津和野に至る道が分かれていた。温泉津は天然の良港で、西回り海運の主要地であり、石見銀山の積出港であった。